ZILLY’s blog

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「ひぐらしのなく頃に~誓~」感想 ※ネタバレあり注意!

最初の「ひぐらし~」はホラーというよりは、サスペンスといえる内容だったと思います。





というのも、僕の解釈では、圭一自身の心の中にある疑心暗鬼などが、実際とは違う幻想を見せていて、その事が最終的な悲劇に繋がる、というのが結論で、人間の想い一つで何もかもが変わってしまうということだと思ったのです。





ただ、ホラー映画的ふれこみのせいもあって、あの内容では違う結論(診療所の医師 入江の仕業であったり、診療所の看護師 鷹野が実はおやしろ様だったとか、色々な可能性も考えられる。)も考えられ、映画として表現するには整理がされていない印象がありました。





今回の「ひぐらし~誓」はその辺りはもう少し明確になった(今回は前回の続編などではなく、同じ時間、場所に存在した表裏逆にあるレナが殺害を犯していく世界、つまり、その人の心の中にあるもので世界は変わる。)のですが、なぜか最後の雛見沢村で村人全員が死ぬくだりは、おやしろ様のたたりを感じさせるのでいらないと思うし、造園会社の人間が鷹野が集めた資料を焼くシーンを入れると村ぐるみの犯行の可能性が出来てしまう。





正直、今回もその辺は整理不足。(監督的にはわざとやっているのかもしれないが)





素晴らしい映画というのは、2時間程度の中で何を感じて欲しいかを明確に出来ている映画だと思う。





つまり原作は原作として、監督の描きたいことを明確にするため、不要な部分をばっさり切れるかどうかが肝心だと思う。





そういった部分では、残念。





ただ、じゃあ悪い映画だったかといえば、そうも思えない。





作品として悪くはなかったが、残念な部分があったと言えるのではないだろうか。






ある意味、哲学的な映画(キルケ・ゴールの「死に至る病」では絶望は人を死に至らせる病と説いているが、この作品では、疑心暗鬼が死に至らしめる→信頼こそが人が生きる糧と説いているし、同じ時間帯にまったく違う2つの話が前作の続編という事は、実際に起こる事実とは、人の思念が形になったものであるといった解釈も出来る。)なので、本当に精査して整理されていたら、傑作になったのではと思うと非常に残念。