ZILLY’s blog

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戸田真琴 ~「永遠が通り過ぎていく」オーディオコメンタリー~

昨日、渋谷のLoft9にて行われた、映画「永遠が通り過ぎていく」のオーディオコメンタリーに行ってきました。

この映画は2019年に制作された戸田真琴 監督作品で、コメンタリーのスピーカーは監督の戸田真琴と写真家の飯田エリカ。
※ 飯田エリカは、作品のスチール撮影だけでなく企画の立ち上げから1番傍で監督を サポートし続けた。

オーディオコメンタリーというと、DVDとかの特典みたいですが、今回は映画を上映しながら行う、いわゆるトークライブ的な感じです。

戸田真琴については、ひと月ほど前に「戸田真琴 の「イカゲーム」についての論評を読んで。」という記事を書いたのですが、実はあの記事を書くきっかけは、この映画の上映に関してのツイートでした。

そのツイートを目にして、色々「戸田真琴」について調べてて、「イカゲーム」についての論評にたどり着いたのですが、その時このオーディオコメンタリーの事も知って、チケットを取ったのでした。

実は、「永遠が通り過ぎていく」はチケットを取った時には、まだ見ていなくて… というのも現在、東京で上映しているのはオーディオコメンタリーを開催したLoft9なのですが、平日の昼間のみの上映という事で、見に行けなかったのです。

なので、初見がオーディオコメンタリーという変化球で見てしまいましたが、とても興味深い映画でした。

映像が美しく、また表現の仕方が非常に感性的といいますか、ストーリーで伝えるタイプではないので、見る人に委ねるところが大きい映画です。

この映画をみると、戸田真琴が「イカゲーム」について批判的な文章を書くのも納得です。

なにしろ「イカゲーム」は何も考えずにストーリーだけを追っていれば良い作品ですからね。
※そのことに関して批判していた訳ではないのですが…

でも残念ながら、娯楽なんだから何も考えずに刺激をくれるものが大ヒットするんですよね。

まあそれも、たまには悪くないんですけど…

 有吉弘行の「ブレイクとは、バカに見つかる事」という言葉。

AKB48がブレイクした時にも、大いに納得したのですが、やはり金言です。

ちなみに、AKB48がブレイクした2010年時に、僕はAKBの現場ヲタだったので痛感しましたが、ブレイクした瞬間にライブ会場では迷惑行為を行う輩がたくさん現れたし、当時の劇場支配人だった戸賀崎氏と話したとき、ブレイクして変わったことを聞くと「地方での全国握手会会場の楽屋がプレハブだった時に、建物の外から大人数でドンドン壁を叩かれた」とか、「ファンレターに書かれている内容で一番多いのがパンツの色の話になった」とのことで、散々ですよね…

話が脱線してしまいましたが、今作は自分で考えたり、想像したりすることが楽しめる人であれば非常に面白いと感じる作品だと思います。

今回のコメンタリーの中で、特に僕の心の中で残っている戸田真琴の言葉は、「一番私らしく伝えられる言語は映像」です。

最近は文章を書く仕事の多い印象の戸田真琴ですが、言われてみるとそうなのかと感じるところもあります。

僕が「戸田真琴 の「イカゲーム」についての論評を読んで。」で、「たいへんだな…」と表現したあたりも、もしかすると戸田真琴の中にあるものと、日本語になったものとの差は意外と大きいのかもしれません…



最後にこの映画の紹介です。
※オーディオコメンタリーの紹介文より

三本の短編からなるオムニバス形式の映画「永遠が通り過ぎていく」

「君は黄金のオルゴール。神様が、この世界に最後に託した、希望なんだよ。」
植物園で互いの宿命を解析し合う少女たちの物語「アリアとマリア」、キャンピングカーで旅に出る男女の刹那の交流を描いた「Blue Through」、監督自身の送った手紙をもとに大森靖子氏が書き下ろした楽曲を使用した喪失と祈りを描く賛美歌「M」の三編からなるオムニバス短編。

2019年、「戸田真琴実験映画集プロジェクト」と称して自らの人生を言葉と映像という形であたらしく語り直すことを試みた、戸田真琴初監督作品。

「映画にならないと君に見せられなかった透き通った言葉。アタマおかしいふりの方がもはや生きやすくたって、生真面目に言葉をフィルムに焼いて、終わりの一コマまで探した。私の体内を流れる映画ってなんだろう ? -- 映画も音楽もなくたって美しい人生に、君の眼差しが花を手向けるまでの物語を。」 -戸田真琴

監督・脚本:戸田真琴

劇中歌:大森靖子

出演:五味未知子、イトウハルヒ、白戸達也、西野凪沙、竹内ももこ、中尾有伽、國武綾




それでは、今日はこのあたりで…

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